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12月12日(火)
●漢字の日
日本漢字能力検定協会(漢検)が1995(平成7)年に制定。「いい(1)じ(2)いち(1)じ(2)」(いい字1字)の語呂合わせ。毎年、その年の世相を象徴する「今年を表現する漢字」を全国から募集し、この日に京都の清水寺で発表されます。
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須坂新聞調査隊8


「旧百々川」をたどって~穏やかな流れで水辺景観形成

 須坂市の地図を眺めていたら日野地区に「旧百々川」の文字を見つけました。調べてみると百々川は古くからたびたび氾濫し、流域が水害を受けていたことから、大正末期から昭和初期にかけて大規模な改修工事が行われ、現在の流れになったそうです。今の百々川は村山橋下辺りで千曲川に流れ込んでいますが、以前は九反田辺りから千曲川と平行に北に流れ、小布施町の飯田辺りでようやく流入していたそうです。昔の流路をたどってみました。
 改修工事前の百々川(市川)は九反田で鮎川とほぼ垂直に合流し、流れを北に変えていました。相之島で千曲川河川敷に出て、小布施町で松川と合流してから千曲川に注いでいました。途中、宮川や八木沢川なども流入し、加えて、千曲川沿岸は自然堤防ができていて、百々川はなかなか千曲川に合流できず、そのため百々川の水はあふれやすく流域は被害を受けていました。
 そこで水害を防ぐため大正(1922)11年から同14(25)年と、昭和6(1931)年から同10(35)年に改修工事が行われました。最初に、小布施方面に向かっていた流れを断ち切り、現在の高梨の上信越自動車道高架下辺りから、村山橋下辺りで千曲川に流れ込むように人工川を設けました。次に、百々川(市川)と鮎川が緩やかに人工川で合流して流れやすくするように、百々川(市川)の流れを長野電鉄屋代線百々川鉄橋辺りから北寄りに改修しました。これにより今の百々川の川筋になり、流域の水害が減りました。
 古い地図などによると改修前の百々川(市川)は屋代線百々川鉄橋辺りからほぼ西に流れて落合橋辺りで鮎川と合流していたようですが、現在、その一帯はゴルフセンターや果樹園、田んぼになっていて、九反田の土手下にある「百々川流路変更記念碑」以外、当時の面影を感じさせるものはありませんでした。
 一方で、高梨から小布施方面への川筋は「旧百々川」として残っていて、高速道路に沿って流れています。名前は旧百々川ですが、水は川瀬川から引き入れています。水路は幅3~5m前後でコンクリート舗装され、穏やかに流れています。
 大改修以前はたび重なる水害の影響や排水設備が十分でなかったことなどから流域は湿地帯だったそうです。昭和初期に水路や農地の改良工事が行われて、今では流域には果樹園や田んぼなどが広がり、豊かに実った農作物や農作業の様子が見られました。
 途中、沿岸に桜並木や親水公園、遊歩道などが設けられて、のどかな水辺景観を形成し、住民の憩いの場にもなっているようでした。小島からは合流する八木沢川に名前を変えています。

 

 

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